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39年間健康体だった私が耳下腺癌と向き合うことに!がん発見の過程、治療、心と体の変化を綴ります。全がんの約0.2%しかない希少癌。情報が少ない!5年生存率45%のステージⅣだけど長寿の記録を作ってやる!

プロフィール

niyon(によん)

Author:niyon(によん)
関西在住アラフォー女です。
2014年突発性難聴を発症しブラック企業を退社。専業主婦を経て働こう!と資格を取った矢先に耳下腺がんが発覚。新型コロナ流行さなかの闘病は孤独でした。
手術後、夫のすすめで愛犬ソフィア(愛称ソフィにゃん)を飼い始めました。
もう10年以上続けているポイ活も継続中。

【耳下腺癌治療ヒストリー】はこちら

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耳下腺がん手術結果と病理結果 ステージ判明

耳下腺腫瘍を取る手術をして退院後、取った腫瘍の病理結果詳細を聞くために
夫に半休を取ってもらい、共に病院へ向かいました。
忙しい時期なのに何度も半休取ってもらったりしてごめんよ。

主治医の先生からのお話はだいたいこんな感じ。
・耳下腺の深葉という深い部分に腫瘍はあった
・摘出した耳下腺腫瘍は、悪性腫瘍(=がん)と判明
・腫瘍は顔面神経にまとわりついてたので(=浸潤)ほとんどの顔面神経を切って腫瘍を取ることを優先しないといけなかった
・顔面神経切断後、形成外科の先生に神経再建術をしてもらった。が、どこまで動きが回復するかはわからない
 →形成外科の先生も手術に携わっていたことをここで初めて知る(笑)!
・腫瘍(がん)のサイズは3.5cmほどと大きめ
・がんの悪性度や種類は、低悪性度の粘表皮癌
 →「低悪性」に勝手にちょっとほっとする私。でもそんなに甘くはなかった…
・郭清したリンパ節(鎖骨のあたり)12か所のうち、2か所に転移が見られた
・神経浸潤や麻痺があるため、ステージ4(4a)と判断

ステージについては、以下のような基準があり、niyonは赤字が該当。
いわゆるステージⅣ、という聞いてショックな結果でした。
痛みもしこりもなかったのに、ステージ4!?
やばいやん!



【がんのステージ(病期)基準】

がんのステージ=病期のことで4まであります。ステージ1が一般的に「早期癌」と呼ばれるもの。ステージ2以上は「進行癌」と呼ばれます。このステージは、国際対がん連合(UICC)という国際組織がTNM分類を定めていて、TMN3つの要素の組み合わせで病期を決定します。TNM分類というのは以下の3つ。
 T・・・腫瘍の大きさ
 N・・・リンパ節転移の数・大きさ
 M・・・遠隔転移の有無
TNM・病期はがんの種類によって個別に定められていて、腫瘍の大きさが同じでも病期が同じとはかぎりません。ちなみに遠隔転移(M1)があれば病期はIV(4)と最も進んだものになります。また、リンパ節転移であっても、所属リンパ節(Tの周囲のリンパ節。頭頸部腫瘍であれば頸部リンパ節)以外のリンパ節転移であった場合は、Nでなく、遠隔転移(M1)に分類されます。

<T分類>
T0 原発腫瘍を認めない
T1 最大径が2cm以下の腫瘍で実質外進展*なし
T2 最大径が2cmをこえるが4cm以下の腫瘍で実質外進展*なし
T3 最大径が4cmをこえる腫瘍、および/または実質外進展*を伴う腫瘍
T4a 皮膚、下顎骨、外耳道、および/または顔面神経に浸潤する腫瘍
T4b 頭蓋底、翼状突起に浸潤する腫瘍、および/または頸動脈に浸潤する腫瘍
 *実質外進展とは、周囲の組織へ浸潤している場合や神経に浸潤しているものをいう。

<N分類>
N0 所属リンパ節転移なし
N1 同側の単発性リンパ節転移で最大径が3cm以下かつ節外浸潤なし
N2a 同側の単発性リンパ節転移で最大径が3cmを越えるが6cm以下かつ節外浸潤なし
N2b 同側の多発性リンパ節転移で最大径が6cm以下かつ節外浸潤なし
N2c 両側あるいは対側のリンパ節転移で最大径が6cm以下かつ節外浸潤なし
N3a 最大径が6cmを越えるリンパ節転移で節外浸潤なし
N3b: 最大径が6cmを越えるリンパ節転移で臨床節外浸潤あり

<M分類>
M0 遠隔転移を認めない
M1 遠隔転移を認める

     ↓↓↓↓↓

<このTMN分類3つをふまえた病期(ステージ)分類>
病期1: T1N0M0
病期2: T2N0M0
病期3: T3N0、N1M0またはT1、2、3N1M0
病期4A: T1、2、3N2M0
病期4A: T4aN0、N1、N2M0
病期4B: T4b、 Nに関係なく、M0
病期4B: Tに関係なく、N3M0
病期4C: TNに関係なくM1



これにより、niyonのがんは病期4A、つまりステージⅣ(4A)との診断でした。

ちなみに手術直後、夫は取った腫瘍の実物を見せてもらったらしい。
自分だけずるい!何で写真撮ってくれなかったんー!?
何度か責めました(笑)。
実物めっちゃ見たかった 自分のがんなのに!
どうしても見たくて後で先生に写真を見せてもらいましたが、なんかちょっと光が当たりすぎててボケた写真で。。。(←写真にうるさい)白っぽい塊。。。いまいち何の写真かよくわかりませんでした。
いまだに悔しいです。実物見たかったなぁ。

で、先生の話の続きですが、「悪性度は低いけど取った腫瘍の端の方に癌があったので、追加治療として放射線治療をおすすめします」というお話でした。
放射線治療はおそらく1か月~1か月半くらいの期間、通院しながら、または無理そうなら入院しての治療となる、と。

腫瘍を取ったら終わりだと勝手に思い込んでいたので、え!まだなんかやらないとあかんの?しかもそんなに長い間入院!?という驚きとショック。そして放射線治療にも色々副作用や後遺症があると聞き、ズーンと重い気持ちを抱え、もはや思考はストップしてしまいました。
顔半分が今全く動かない状態なのに、放射線治療でもっとひどくなったらどうするの?とか意味不明な不安でいっぱいでした。

診察終わりに次の診察日一覧(同病院の他科含む)が書かれた予約票を渡されるのですが、翌週に放射線科の初診予約が入っているのを見て、すごく複雑な気持ちに。
別に先生の治療方針に反対なわけではないけれど、サクサク進められても気持ちが追い付かない

家に帰って、まずしようと思ったことは、放射線治療について調べることでした。
どんな治療なのかよくわかっていなかったし、副作用や後遺症も重要要素。
ちゃんとわかった上でやらないと。
いやそれより、もっといい方法はないの?

今考えれば、あの時、主治医の先生も頭頸部外科の先生とチームで話し合って決めた治療方針だったんだろうとわかりますが、あの時は本当に色々疑ってかかっていたんです。
取った腫瘍が悪性だったこと、手術後顔が予想以上に動かないこと、そしてそれがとても不便で見た目もひどいこと、いろんな意味でショックが大きくて。こんなことなら手術なんてしなきゃよかった、こんな顔になるなら癌だけど放置しといた方がよかった、癌があってもなくてもどうせいつかは死ぬんだし...とまあ心の中にいろんな思いがこの時はありまして。

翌週、気が進まないまま、とりあえず同じ病院の放射線科へ話を聞きに行ってきました。

ちょっと病気のお話が続きます。
読んで下さってる皆様、ありがとう!ソフィアも感謝しています
 
このうどんベッド、お気に入りのようです

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